〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

 安宅の関跡を後にし17kmほど南西下すると、橋立集落に入ります。
 橋立集落は、北前船の船主や船頭などが居住する船主集落で、「日本一の富豪村」と呼ばれていました。

 江戸時代から明治時代の初期にかけて、北海道の産物を大阪へ運び、西日本の産物を東日本へ運ぶ、大動脈を担っていたのは、北前船でした。
 北前船は、北海道・日本海沿岸・瀬戸内海沿岸・大阪を結んでいました。
 その大型船を保有する船主の多くが、橋立集落に在住していました。

 とは言え、橋立集落には北前船の大型船を係留できる港はありません。
 北前船の大型船は、大阪に係留しておき、橋立集落から陸路で向かったようです。
 その後、春から秋にかけて、大阪~北海道を一往復しました。
 この一往復で、船頭は1000万円も稼いだと言われています。
 船主は、一億円もの収入を得て、全国の高額所得者番付表に、名を連ねました。

 北前船船主の一人・酒谷長兵衛が残した大邸宅が、北前船の里資料館となっています。
石川県 北前船資料館

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      前回の問題 解答
 カラーリット・ヌナート(グリーンランド)で、氷床や万年雪で覆われているのは、約80%です。 
   
 

 
      今日の問題  
 北前船で船長の役割を果たしていたのは、船頭です。
 では、航海士の役割を果たしていたのは、何と呼ばれていたでしょう。
        

 

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