越中・能登の大伴家持

 大伴家持は、若くして越中の国司となります。
 その任期は、746年(29歳)から751年(34歳)までです。
 三世一身法や墾田永年私財法が制定されて律令体制が動揺し出す一方で、国分寺・国分尼寺建立の詔や大仏造立の詔が発せられるなど鎮護国家思想が具現化される時期です。

 そのころ、越中国と能登国の関係に変化がありました。
 741年、能登国は越中国に併合されます。
 757年、能登国は越中国から分離されます。

 大伴家持が越中国の国司であった時期は、能登国が越中国に併合されていた時期にあたります。
 それゆえ大伴家持は、越中国の国司であるとともに、能登国の国司でもあったわけです。

 大伴家持は、国内を巡行する際、能登国を羽咋・七尾・穴水・輪島・珠洲の順に回り、歌を詠んでいます。
   珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば
    長浜の浦に月照りにけり

 大伴家持が越中国の国司であった時期に詠んで『万葉集』に納められているのは、220余首です。
 また、『万葉集』に納められている大伴家持の歌は、合わせて470余首です。
 半数近くが、わずか5年の越中・能登での作となります。

 国司の任期は4年ながら、1年延びて都に帰任する際の歌です。
   しなざかる越に五年住み住みて
    立ち別れまく惜しき夕かも

大伴家持 越中

 
『小倉百人一首』と藤原定家 その九

 
 
 

      前回の問題 解答
 ヌーク(カラーリット・ヌナート)における最暖月=7月の平均最高気温は、+ 9℃です。
    
 

 
      今日の問題  
 大伴家持の歌の◯に入る一字は何でしょう。
   ◯山の雪し消らしも延槻の
    川の渡り瀬鐙浸かすも
       

 

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