〈 能登半島・白丸地区の黒瓦 〉本州の海岸線一周 その60

 九十九湾を後にして北上すると、すぐに白丸地区に着きます。
 地名の「白」に因んだ「白瓦」かとの期待に反して、能登半島の他の地区と同様に、「黒瓦」の家が軒を連ねています。

 「黒瓦」は、釉薬にマンガンを主原料にすることで、江戸時代までの「赤瓦」に代わって用いられました。
 さらに、厚く重くしたことにより、寒さ・積雪・塩害に強く、屋根に積もった雪が早く滑り落ちるとされ、能登半島中で使われてきました。

 しかしながら、2024年1月1日に発生した能登半島地震は、「黒瓦」が重くのしかかった家々を傾け、倒していきました。
 白丸地区の海岸には4.7mの津波が押し寄せ、「黒瓦」の家々を飲み込みました。
 白丸地区の海沿い集落35世帯中11棟が全焼し、「黒瓦」は防火の責務を果たし切れませんでした。

 「黒瓦」は、「能登瓦」とも呼ばれて能登半島を代表する景観を創ってきましたが、岐路にさしかかっています。

 なお白丸地区は、能登半島地震が引き起こした津波による最大痕跡高4.7mを記録しています。
石川県 白丸集落 黒瓦

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 皐月二十一日(太陰太陽暦・太陽暦で1827年6月26日)に献呈された『日本外史』の著者は、頼山陽です。
  
 

 
      今日の問題  
 輪島市の黒島は、「黒瓦」の景観が優れていることで、「何保存地区」に指定されているでしょう。
       

 

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