〈 桶狭間の戦い 〉夏至の雨 その四

 五月十九日(太陰太陽暦・1560年・夏至の日)の早朝、
織田家の家臣達大半に本意を明かさぬまま、織田信長
は、馬に一人跨り城を後にします。
 付き従った家来は、数百名のみ。
 ただし、信長は確信していました。
 「快晴はすぐに崩れ、豪雨になる」と。

 桶狭間に着くと、夏至の陽が雲間に隠れたと思う間
もなく、雨が降り出し、あっという間に豪雨(一時間
当たりの降水量が120mm)になりました。

 今川の総勢は、二万五千余。
 これだけの大軍になれば、一つの陣では収容仕切れ
ません。
 いくつもの丘の上に、別々に陣を構えなければなり
ません。
 それらの丘と丘の間には、ぬかるんだ湿田が横たわ
っていました。
 普段でも歩きにくい湿田に豪雨が流れ込めば、丘の
上にある陣同士の行き来は極めて困難になります。
 豪雨を押して、信長の小部隊は、今川勢の本陣を目
指します。

 しばらくして、降り続いた豪雨は止み、夏至の陽が
射し込み始めます。
 その瞬間、信長の小部隊は、一気に今川勢の本陣へ
攻め入ります。

 今川勢は防戦の体制を整える間もなく、総大将の義
元を討ち取られてしまいます。
 大軍を再組織化することも適わず、今川勢は総崩れ
となり、てんでに敗走します。

 戦闘が開始してから、わずか二時間。
 極大の将は、極小の将に飲み込まれました。
 気象の変化を先読みできた信長の、一方的な大勝利
でした。              < つづく >

 〈 夏至の宴会 〉      夏至の雨 その三

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 「六十」は、「ろくじゅう(ふ)」以外に、「むそ」や「む
そじ」とも読みます。
     

 
        今日の問題 
 夏至の日に露と消え、次の歌が辞世となった戦国武
将は、誰でしょう。
    夏山の茂みふきわけもる月は
     風のひまこそ曇りなりけれ
                

 
       夢を実現する学習塾  開 進 学 園
          ホームページ
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です