忠敬は、現在の九十九里町に生まれま
した。
6歳の時に母親が亡くなり、婿だった
父親は兄と姉を伴って実家へ戻り、忠敬
は一人残されます。
江戸時代は、長子が相続します。
長子が女性であれば、婿を取って跡を
継ぎます。
長子が亡くなれば、第二子が代を継ぐ
ので、婿は婚家を出なければなりません。
4年後、忠敬は坂田城址の麓で寺子屋を
開いた父親のもとへ、引き取られます。
その後、父親と同じように、忠敬も婿
入りしますが、39歳で妻を亡くします。
ただし、忠敬は婚家の家業を盛り立て、
名主としても重責を担っていたため、婚
家(伊能家)を出なくて済みました。
その後、二番目の妻は45歳の時に、三
番目の妻は50歳の時に、次々と亡くなり
ます。
忠敬の結婚運は、悪かったようにも思
えますが・・・・。
< つづく>
伊能忠敬と四人の妻 その1
前回の問題 解答
宝永の前の大噴火は、864年に起き、
貞観の大噴火と呼ばれます。
今日の問題
忠敬が婿入りした佐原の伊能家の家業
は、何でしょう。
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