千利休と豊臣秀吉 その3

 数多くの名器を少人数の家来で警護していた本能寺は、夜襲をかけられ、炎上します。
 それでも織田信長は、自身の死体を残さなかったのみならず、名器も一切残さなかったと、伝えられています。

 謀反を起こしたのは、明智光秀です。
 光秀は、信長が「自分の跡を託すのは、光秀だ」と念頭に置いていた心の内を、謀反の後に知ることとなります。

 それにしても、光秀はなぜに謀反を起こしたのでしょう。
 光秀に対して、信長が数々の屈辱的な言動を行ったからかもしれません。
 豊臣秀吉の配下として、中国地方の平定戦役に加わる役割が、苦々しかったかもしれません。

 そうした政治的側面はさておき、光秀は、信長麾下の錚々たる武将達に対して、かなり自負していたのは間違いないでしょう。
 一つは、足利将軍家や公家との、太いパイプです。
 もう一つは、室町文化への、深い造詣です。 < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

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 2022年の平均寿命で、千葉県内市区町村別の、女性第一位と男性第二位は、千葉市美浜区です。
 

 
 
     今日の問題  
 茶の湯とともに、連歌にも造詣が深く、次の発句を残したのは、誰でしょう。
   ときは今 あめが下知る 五月哉
         

 

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