二・二六事件を前後する歴史です。
1927年 世界恐慌
1931年 満州事変
1932年 五・一五事件
1933年 国際連盟脱退
1934年 ワシントン軍縮条約廃棄
1936年 ロンドン軍縮会議脱退
二・二六事件
軍部大臣現役武官制復活
日独防共協定調印
1937年 廬溝橋事件
南京大虐殺
1938年 国家総動員法公布
東亜新秩序建設声明
天皇親政国家の樹立を目指した
二・二六事件は、数日のうちに鎮圧
されました。
しかし、天皇親政と軍部独裁の狙いは、
その後着実に進行します。
目的も状況も知らされぬままに動員
された1500名の兵士達は、「白骨に
なって帰還せよ」と訓示されて満州の
前線に送られ、訓示の通りとなります。
反乱将兵達が口実としていた、農村の
貧しさ、特に東北地方の悲惨さは、改善
されるどころか、軍備増強を優先する
あまり、より苛酷となります。
なにより、日本軍の蛮行によって、
中国をはじめアジアの人々は、多大な
犠牲を強いられていきます。
時の大蔵大臣・高橋是清は、銃殺
された後に腕を切断されます。
軍事予算を削減しようとしたからです。
二・二六事件から80年を経た今日、
軍事予算は拡大の一途を辿り、自衛隊では
背広組に替わって軍服組の力が圧倒的です。
前回の問題 解答
「斉藤茂吉」です。
今日の問題
二・二六事件で侍従長として重傷を
負いながら、後に首相となってポツダム
宣言を受託したのは、誰でしょう。
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おことわり
この記事は、2月26日に旧マクスタへ
投稿したものです。
新マクスタへ移行できなかったため、
再掲しました。