市民が共同生活を送るためには、共通の時間理解が必要です。
しかし、江戸時代に、個人所有の時計はありません。
そこに登場したのが、時を告げる鐘撞堂です。
江戸の町には、寛永寺や浅草寺など9ヶ所に設けられました。
松尾芭蕉は、江戸の町の時の鐘を、こう詠んでいます。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
川越の町に鐘撞堂が建てられたのは、江戸時代初期の1627年です。
それ以来、三度建て替えられました。
明治に入って1893年に、川越の町は1/3を焼き尽くす大火に見舞われます。
町の復興が急務となる中、いち早く1894年に再建されたのが、四代目となる現・鐘撞堂です。
長い間専門の鐘撞守によって撞かれてきた鐘は、現代では電動式に換りました。
それでも一日に四回(06:00,12:00,15:00,18:00)、人間味溢れる音色を届けています。
前回の問題 解答
笑いは、免疫力に大きく関わるナチュラル・キラー細胞(NK細胞)を活性化させます。
今日の問題
江戸の町では、時の鐘が毎日何回撞かれていたでしょう。
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