三池炭田が発見されたのは、1469年です。
その後藩営時代を経て、三井の傘下に入ります。
石炭の採掘は、陸地のみならず海底にまで広げられます。
ついには年間出炭量が最高で657万と、日本最大の炭鉱になりました。
第二次世界大戦後、三池炭田の街・大牟田の駅前に、岡山から来た四人組によるラーメン屋台が登場します。
岡山へ戻った四人組を引き継いでラーメン屋台を始めたのが、1951年です。
元祖・大牟田ラーメンの誕生です。
1953年には店を構え、現在に至っています。
1959年、三池炭田で炭鉱労働者の1200人にものぼる指名解雇を巡って労働争議が起こり、日本労働運動史上希に見る規模になります。
一地域の争議を超えて、「日本の総資本」と「日本の総労働」が激突します。
流血寸前の状況下、元祖・大牟田ラーメン店では、一日に700杯ものラーメンが出たそうです。
地下足袋を履いた炭鉱労働者も、革靴を履いた炭鉱会社員も、店内ではほんのひと時争いを休止して、食卓に並んだそうです。
伝統の羽釜炊き豚骨100%の味もさることなれど、歴史の味が濃厚な、元祖・大牟田ラーメンでした。
前回の問題 解答
連歌において、五七五の発句に対して、七七は脇句と呼ばれます。
今日の問題
三池炭田の専用鉄道の総延長距離は、最盛時に何kmだったでしょう。
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