ロンドン・ペストの恐怖

 死を悼む声は街々に響いていた。
 道を歩いていると、最愛の家族が息をひき
とろうとしているか、ひきとったばかりなの
だろう、家の窓や戸口から、女性や子供の悲
鳴が聞こえてくることもしばしばあった。

 ところが、あとになると、あまりに眼の前
で人がばたばた死にすぎたせいで、市民の感
情はすっかり麻痺し、近親を失ってもたいし
て悲しまなくなってしまった。
 次に召されるのは自分だなと思うだけにな
っていたのだ。
 『ロンドン・ペストの恐怖』 小学館
  ダニエル・デフォー 著 栗本慎一郎 訳

 オランダからロンドンへペストが侵入して
きたと分かるや、富裕層は、即座にロンドン
の街を離れます。
 それ以外の人々は、離れる術もなく、病魔
に襲われていきます。

 1665年8月から9月にかけて、一週間のうち
に、4000人、5000人、6000人、7000人と、
ペストによる死者数が増大します。

 その背景に、次の三点がありました。
  買い物をする際に、感染する。
  患者に近づくと、感染する。
  隔離病院は、ロンドン市内に一ヶ所だけ。

 当局は、感染者が出た家を封鎖し、監視人
を配置して、人の出入りをさせません。
 家の中を、徹底的に消毒します。
 感染者が出た家であると、一目で分かるよ
うに、マークを描きます。
 死者は、葬式も参列も無しで、夜間に埋葬
します。

 当局の必死の対応が、続きます。
   食料品を確保する。
   物価を安定させる。
   死体を放置させない。

 ロンドン市内における感染が収まりかける
と、街を離れていた人々が続々戻ってきます。
 すると、感染者の数が再び増加に転じ、死
者数が二倍三倍に跳ね上がります。

 やがて、ペストの感染はまるで夢物語だった
かのように、収束します。

    ロンドンを震撼させた大疫病
   一六六五年に
   十万人の人命が奪われたなか
   それでもわたしは生きのびた

 当時のロンドンの人口は、約50万人。
 五人に一人が、ペストで亡くなりました。
ペストの恐怖
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

     前回の問題 解答
 山裾から山頂までの標高差が5500mと世界
一の山は、デナリです。

      今日の問題 
 ダニエル・デフォーの代表作は、何でしょ
う。
  A ラビンソン・クルーソー 
  B リビンソン・クルーソー
  C ルビンソン・クルーソー
  D レビンソン・クルーソー
  E ロビンソン・クルーソー

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