〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

 京都市街の東寄りで大文字山の麓にある東山慈照寺(銀閣寺)に着いたのは、開門時間前の早朝。
 寺の方々が、折からの雪を掃いて道づくりをしていました。
 総門とその奥の寺域は、重々しい雪空に覆い被されています。

京都 慈照寺 総門

 1477年に応仁の乱が終わって5年後、足利義政(室町幕府八代将軍)は、隠棲生活を送るため、山荘東山殿を造営します。
 10年間にも渡る乱が収束したとは言え、各地で一揆が続発し、息子・足利義尚や妻・日野富子との確執など難問を抱え、身も心も休まる地を求めたのでしょう。
 総門を抜けて50mほど続く銀閣寺垣を行くと、俗界とは別世界へ抜け出たようです。

京都 慈照寺 銀閣寺垣

 足利義政は、東求堂(とうぐどう・檜皮葺きで現存する最古の書院)、善阿弥作の池泉回遊式庭園・・・を、次々に造営します。
 最後は、観音殿銀閣です。
 一層・心空殿(書院風)と二層・潮音閣(唐様仏殿)からなる観音殿の完成の翌年、足利義政は亡くなります。

京都 慈照寺 銀閣 雪

 展望所から眺めると、観音殿銀閣も、向月台も、薄っすら雪化粧をしていました。
 展望所を下りて、観音殿銀閣を見上げると、屋根上の雪は見えず、池の畔に立つウメの蕾が膨らんでいるように見えました。
 まさに春隣の東山慈照寺(銀閣寺)でした。

京都 慈照寺 銀閣 ウメ

 
〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 
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 次のことわざの「 」に入る語句は、「学」です。
   少年老い易く「 」成り難し
 
 

        今日の問題 
 東山慈照寺は、誰の法号に因んで命名されたのでしょう。

 

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