〈 東清鉄道 〉 シベリア鉄道と日露戦争 その3

 ロシアは1896年に、清と新たな条約を結び
ます。
 この条約によって、日清戦争後日本が手に
入れた遼東半島を清に返還させる見返りに、
清から東清鉄道建設の権利を獲得します。

 東清鉄道が建設されれば、チタ(シベリア
鉄道)から、満州里やハルピンを経て、ほぼ
一直線でウラジオストクと結ばれます。

 ウスリー川に沿ってロシア領内を通る、本
来の計画路線で建設しようとすると、地形的
に困難を極めていました。
 それに対して東清鉄道は、大平原を進むた
め、建設が容易です。
 その上、チタとウラジオストクを、短距離
で繋ぎます。

 東清鉄道は、中国国内鉄道のレール幅(143
5mm)と異なり、シベリア鉄道のレール幅(15
24mm)で建設され、1903年に完成します。
               <つづく>

 〈 鉄道の役割 〉
    シベリア鉄道と日露戦争 その2


 〈 皇太子襲撃事件〉
     シベリア鉄道と日露戦争 その1

シベリア鉄道 地図
 

 

 

 

 

 

 

 地図の出典 『シベリア横断鉄道』
   NHK取材班 編 日本放送出版協会

 
     前回の問題 解答
 ロウバイは、ロウバイ科・ロウバイ属に分
類されます。
  

  
      今日の問題 
 チタ~ハルピン~ウラジオストク(中国経
由)の距離は、チタ~ハバロフスク~ウラジ
オストク(ロシア領内経由)の距離の、どれ
ほどになるでしょう。
   A 1/2
   B 1/3
   C 2/3
   D 1/4
   E 3/4
      

 
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