19世紀の日本で、人々は度重なる激変に見舞われま
した。
① 天保の大飢饉や、巨大地震(安政東海・安政南海
・江戸・濃尾)
② 幕藩体制の混迷と、明治新政府による地租や兵
役などの新たな負担
③ 外国との通商拡大に伴う、物価の急上昇
④ 外国との交流拡大に伴う、五次に渡るコレラの
大流行
19世紀の初頭、コレラは、インド国内での風土病か
ら、世界的な規模に感染を拡大します。
ヨーロッパで「青い恐怖」と呼ばれたのに対し、日本
では「三日狐狼狸」と呼ばれます。
感染者は、発症してから三日以内に亡くなる例が多
かったためです。
また、放置された遺体が、狐(キツネ)や狸(タヌキ)
の餌となり、それらの狐や狸は、狼(オオカミ)の餌と
なったためです。
19世紀のコレラは、致死率が高く、致死時間が短
く、非常に恐れられました。
やがて、コレラ菌が発見され、ワクチンが開発さ
れ、医療体制や衛生状態が改善されると、20世紀以降
の日本でコレラの流行は見られなくなりました。
『太陽:地球=11:327272』 2月の開進学園だより
『正月一日と1月1日』 1月の開進学園だより
前回の問題 解答
高神村(現・銚子市)を舞台にしたNHKの朝ドラ『澪つ
くし』で、主演を務めた女優は沢口靖子です。
今日の問題
日本における第五次コレラ流行の内、1895年におけ
るコレラの致死率は何%でしょう。
A 12.8%
B 32.8%
C 52.8%
D 72.8%
E 92.8%
夢を実現する学習塾 開 進 学 園
ホームページ