杉田玄白が生を得ていたのは、激動の
時期でした。
生まれる一年前に享保の大飢饉が始ま
り、続いて天明の大飢饉が起こります。
農村では一揆が頻発し、街では打ち壊
しが続発します。
江戸幕府は対応に追われ、享保の改革
や寛政の改革を行います。
激動の嵐は、出生時の玄白を襲います。
玄白を難産の末に産み終えた直後に、
母親は息を引き取ります。
藩医の跡を継いだ玄白は、従来の医術
にこだわらず、実証的裏付けに基づいた
医術を目指し、蘭学の道を突き進みます。
そのような医術との格闘の中から導き
だされたのが、『養生七不可』です。
一 昨日の非は、恨悔すべからず。
一 明日の是は、慮念すべからず。
一 飲と食とは、度を過すべからず。
一 正物に非れば、苟も食すべからず。
一 事なき時は、薬を服すべからず。
一 壮実を頼んで、房を過すべからず。
一 動作を勤めて、安を好むべからず。
杉田玄白 1804年四月十七日(太陰太
陽暦・2018年のカレンダーで
5月31日) 永眠
享年 八十五
前回の問題 解答
ミチは、忠敬と二人で一ヶ月間に渡り、
東北地方を松島まで旅しました。
今日の問題
次の歌を詠んだのは、だれでしょう。
過し世もくる世もおなじ夢なれば
けふの今こそ楽しかりけれ
A 伊能忠敬
B 杉田玄白
C 徳川吉宗
D 松平定信
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