最初の妻となるミチは、佐原の酒造家
の跡取り娘でした。
先夫に先立たれた後、忠敬が婿に入り
ます。
この結婚をしていなければ、忠敬の名
前は今日まで残らなかったでしょう。
第一に、経済的基盤を得ました。
途中から江戸幕府が必要経費をすべて
提供してくれたとはいえ、初期の東北・
北海道の測量は、忠敬が必要経費を全額
負担していたようです。
江戸幕府が設立した天文台よりも勝る
と言われる、自家用の天体観測機材には、
莫大な資金が投入されています。
このような経済力は、伊能家の家業が
もたらしたものです。
第二に、人生後期における目標設定と、
文書の作成・管理を学びました。
ミチの祖父に当たる伊能景利は、150
年間に渡る佐原の歴史を、『部冊帳 全
二十七冊』にまとめています。
その作業は、46歳で隠居した後の、12
年間に行われました。
忠敬は、景利の膨大な著作に触れ、自
分も隠居してから何かを残さなくてはと、
目標を探したに違いありません。
景利は、他に『伊能景利日記 全二十
冊』『千代古見知 全七冊』『続千代古
見知 全九冊』など、大量の文書も残し
ています。
これらの文書は、忠敬による『測量日
記』に引き継がれていきます。
<つづく>
伊能忠敬と四人の妻 その2
伊能忠敬と四人の妻 その1
前回の問題 解答
アリューシャン列島で、キスカ島とア
ッツ島に先だって日本軍が侵攻したのは、
ウナラスカ島(ダッチ・ハーバー)です。
今日の問題
ミチは、忠敬と二人で一ヶ月間に渡り、
どこを旅したでしょう。
A アリューシャン列島
B ブラジル
C 千葉県一周
D 東北地方
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