もんぺ 国民服

 日中間で戦争が始まったころ、綿花と羊毛の
輸入額は、輸入総額の1/3を占めていました。
 軍需物資の輸入を優先するため、綿花と羊毛の
輸入は、制限されます。
 日常生活は、戦時体制一色に。
 衣服の材料は、限られていきます。
 
 和服を着ていた女性には、和服の上に着用して
活動しやすいようにと、もんぺが奨励されます。
 洋装化していた男性には、ワイシャツもネクタイも
不要で、普段着としても、礼服としても、一着で済む
国民服が奨励されます。
 写真は、『日本服飾史』 ( 増田美子 編 東京堂出版)


< 十月のわくわく学習会 >
 一般民衆が来ていた衣服の遷り変わりに
焦点を当てながら、日本の歴史と衣服の
関係を探っていきます。
  
 と き  10月17日(土) 14時~15時
 ところ  開進学園
 テーマ  衣服の遷り変わりと日本の歴史
 参加費 100円
 連絡先  電話  043-273-6613
       メール wakuwaku@kaishin.jp.net


 
  
    starblue 前回の問題 解答 starblue
 『万葉集』第142首の作者は、有間皇子です。
     starpink 今日の問題 starpink
 衣料品の一人あたり需要量は、
1942年から1944年にどれほど
変化したでしょう。
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