刀狩と鉄砲

 1588年の七月八日(太陰太陽暦、カレ
ンダー・新暦では8月29日)、豊臣秀吉に
よって、全国に刀狩令が出されました。
 農民は、刀・脇差し・弓・槍・鉄砲・その
他の武器を所持せず、農具だけを持って
農作業に専念すべしという命令です。
 この刀狩令に、農民はそのまま従った
のでしょうか。

 『鉄砲を手放さなかった百姓たち』
(武井弘一・著 朝日新聞出版)によれば、
少なくとも鉄砲は長く持ち続けたようで
す。

 農民であるとともに猟も生業とする人
々にとり、鉄砲は、武器ではなく、猟の
道具でした。
 それゆえ、猟銃は認められました。

 猟を生業としない農民も、鉄砲の所持
を止めません。
 シカ・ウサギ・キジ・ハト・その他の作物
を食い荒らす動物を追い払うため、農民
にとって、鉄砲は手放せない大事な農具
の一つでした。
 農地を山間林地に広げようとすればす
るほど、先住してきた鳥獣と、移住して
きた農民との間で繰り広げられる対立は
激化します。農民は、ますます鉄砲を頼
りにします。

 農民は、秀吉の時代も、江戸時代も、
鉄砲を保持し続けました。
 度重なる鉄砲改めをかいくぐりながら。

katanagarirei

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 織姫星(ベガ)は、全天で五番目に明る
い星です。

 

        今日の問題 
 『鉄砲を手放さなかった百姓たち』によ
れば、江戸時代後期の三年間に871挺も
の隠し鉄砲が見つかったのは、関東地方
の何県でしょう。

 

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