京都盆地と大阪平野の接点にあたるの
が、山崎。
山崎は、古くから交通の要衝でした。
山崎の街の西にそびえるのは、天王山
です。
11月も末になると、木々が色づいてき
ます。
急な山道を登り切り、山頂に着きます。
そこは、山崎城の跡。
明智光秀を破った羽柴秀吉は、天王山
の山頂に山崎城を築き、大阪に移るまで、
政治の中心としました。
山崎は、三つの河川が合流する地点
です。
北からは、桂川。
東からは、宇治川。
南からは、木津川。
合流してからは、淀川となります。
「天下分け目の天王山」のような言い
方がされますが、戦闘が行われたのは、
天王山の麓です。
明智光秀が、山崎の街に陣を張ってい
れば、勝つ可能性もあったようです。
山崎の街を戦火に巻き込ませないとの
配慮が徒になったとも伝えられています。
前回の問題 解答
「延命息災」です。
今日の問題
天王山は、もともと何と呼ばれていた
でしょう。
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