平家政権を打倒するまでは兄弟相和していたものの、平家政権が崩壊した後は兄弟相克を増していきます。
やがて弟の源義経は、兄の源頼朝によって平泉(岩手県)へ追い詰められ、自害して果てます。
しかし、弟の源義経を慕う人々は、義経の死を受け入れず、復活を夢想します。
その中の一つが、蝦夷地(北海道)への進出です。
車は、陸奥湾・野辺地湾・青森湾を周回して、津軽半島の先端近くになる三厩へ入ります。
小高い丘にある義経寺を過ぎると、義経海浜公園です。
三厩湊は、松前湊とを結ぶ、蝦夷地への玄関口でした。
義経一行は、三厩湊へ辿り着いたものの、海は吹き荒れて、船は出せません。
そこで義経は、甲岩(島)に上り、三日三晩祈祷し続けます。
すると、海は静まりかえり、船を出すことができました。
蝦夷地へ渡った義経は、オキクルミ大王として蝦夷地の支配者になったとも、言い伝えられています。
義経海浜公園は、甲岩(島)を中心とした、波静かな浜辺でした。
〈 本州の太平洋岸最北の地 尻屋崎 〉本州の海岸線一周 その27
前回の問題 解答
晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの強い風を、木枯らしと呼びます。
今日の問題
源義経は、蝦夷地を経てモンゴルへ到り、何として元を支配したという説があるでしょう。
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