小倉百人一首は、今から800年ほど前、藤原定家によって編集されました。
それがカルタとなったのは、室町時代の終わりごろのようです。
初めは、大名クラスの人達の遊びでした。
しだいに武士の各階層へ広まり、江戸時代には町人の間にも普及します。
元禄文化のころには、次の川柳が詠まれています。
家なみに みやこ女の うたかるた
東京(明治)時代になると、カルタ会が盛んになります。
尾崎紅葉は、『金色夜叉』の冒頭に、カルタ会の様子を描いています。
三十人に余んぬる若き男女は二分に輪作りて、今を盛と歌留多遊を為るなりけり。
やがて、カルタ会は競技として形式が整えられていきます。< つづく >
小倉百人一首と藤原定家 その一
『百人一首』と係り結び
前回の問題 解答
タイの正式国名は、「タイ王国」です。
今日の問題
小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
「 」て夏来にけらし白妙の
「 」ほすてふ天の香具山
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