千利休と豊臣秀吉 その2

 織田信長は、一種のステータスシンボルとなった茶の湯を、許可制にしました。
  茶の湯を、勝手にしてはならぬ。
  許可を得た者にだけ、茶の湯を許す。

 豊臣秀吉が信長に忠誠を誓ったのは、他の理由が主だとしても、多くの武将達に先んじて信長から茶の湯を許されたことが、深く関わっているに違いありません。

 天下取りとは、敵対する武将が領有する地域を奪取し、戦功があった配下の武将達に分け与えることに尽きます。
 しかし、戦に勝利したとは言え、配下の武将達に都合よく新たな領地を分配できるとは限りません。
 一族郎党の生死を賭けた戦功に報いなければならないにも関わらず、分け与える領地が無い場合、領地に勝る褒美とされたのが、茶器でした。

 信長は、権力を発動して名器を強奪し、集めた名器を武将達に見せつけ、権威を誇りました。
 仰ぎ見る名器の数々のうちの一口を戴いた武将は、領地を戴くに勝る誉れと感激し、次の戦に命を投げ出して行くのでした。 < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
 支湾としての三河湾の面積は、伊勢湾全面積の約28%に当たります。
 

 
 
     今日の問題  
 茶の湯を武家の儀礼として活用した政策は、何と呼ばれるでしょう。
         

 

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