中島敦 私は蚕

 中国の歴史と風土の中から出現したかのような
『山月記』 『弟子』 『李陵』 等々の作品。
 漢文塾を開いていた祖父や、漢文の教師
(旧制銚子中学など)をしていた父の下、
漢文という産湯に浸かり、育ったならではの
格調高い作品。
 これらの作品が誕生したのは、戦局が厳しく
なったころです。
 1942年 2月  『山月記』 発表
        6月  『弟子』 脱稿
        7月  『光と風と夢』 刊行
       10月  『李陵』 脱稿
       12月4日 死去
   中島敦  享年 三十三
中島敦の文学に対する思いを、 『光と風と夢』
から次に抜き書きします。

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 病気が行為への希求を絶って以来、人生とは、
私にとって、文学でしかなくなった。
 文学を創ること。それは、歓びでもなく苦しみでも
なく、それは、それより言いようのないものである。
したがって、私の生活は幸福でも不幸でもなかった。
 私は蚕であった。蚕が、みずからの幸、不幸に
かかわらず、繭を結ばずにいられないように、私は、
言葉の糸をもって物語の繭を結んだだけのことだ。
          『日本の文学 36 』  中央公論社
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    starblue 前回の問題 解答 starblue
 「メロン」です。
 赤肉メロン クインシーメロン ・・・
 白肉メロン ホームランメロン ・・・
 青肉メロン アンデスメロン ・・・
     starpink 今日の問題 starpink
 中島敦は、 『光と風と夢』の中で、夜明けを
どのような色と表現しているでしょう。
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