アッツ島での玉砕 キスカ島での全員撤収

 1943年5月29日、アッツ島守備隊は、
食料も兵器も欠く中、書類を焼却し、
通信機器を破壊した後、「総攻撃」の名
の下、手榴弾を携え、自らの四肢を四
散させていきました。

 1942年、ミッドウェーで大敗を喫し
た日本軍は、三日後にはアリューシャ
ン列島のキスカ島とアッツ島を、相次
いで占拠します。
 ミッドウェーからハワイへと、太平
洋を正面突破できないならば、アリュ
ーシャン列島を東へ進んで、アメリカ
本土を目指したのでしょうか。
 アメリカ軍が、アリューシャン列島
から千島列島沿いに侵攻するのを、防
ごうとしたのでしょうか。

 このアッツ島へアメリカ軍が上陸し
て日本軍が玉砕するまでの、日本側と
アメリカ側双方の記録をまとめたのが、
次の作品です。

 『アッツ島玉砕』
    西島照男 著 北海道新聞社

 アッツ島では、日本側で大半の260
0余名が、アメリカ側で600余名が、
戦死しました。

 一方、キスカ島では、日本軍守備隊
5200余名全員が撤収しています。
 もぬけの殻となったのを知らずに上
陸したアメリカ軍は、疑心暗鬼となり、
同士討ちで300余名が死傷しました。

 ツンドラの谷間の向こうはエンジニ
ア・ヒルで、そこでは1943年約500の日
本兵が手榴弾のびんを外し、勝利か死
の武士道に従い自決した。
   < 中略 >
 私はそこから山の方を振り返って見
た。
 そこは今は友好国だが、二つの国の
人間が互いに殺し合った所である。
 そこでは、ある兵は勇士になり、あ
る兵士は寒さで死に雪に埋もれた。
 戦うには異様な場所で、アッツ島は
どちら側にも組しなかった。
        ジム・ワッサーマン 

aryu^syan rettou

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 富士山で宝永(300年前)と同規模の大
噴火が起きた場合、目・鼻・喉・気管支に
異常を来たす人は、約1250万人と想定
されています。

      今日の問題 
 アリューシャン列島で、キスカ島とア
ッツ島に先だって日本軍が侵攻した島は、
どこでしょう。

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