藤原定家が生まれた1162年の三年前に、平治の乱が起きています。
その後、平氏が政権を握り、さらには源氏が権力を握って鎌倉幕府を開きます。
藤原定家は、自らが依拠する公家社会の勢力が衰え、代わって武家社会の勢力が増していく、巨大な渦の中に身を置いていました。
後鳥羽上皇は、公家社会から武家社会への移行を逆転させるため、「北条義時(鎌倉幕府の第二代執権)を追討せよ」との宣旨を発します。
承久の乱です。
しかしながら、鎌倉幕府の大勢力に敵うはずがありません。
後鳥羽上皇は、隠岐へ島流しになります。
皇室領の荘園約3000ヶ所が、没収されます。
公家の政治的・経済的基盤は、衰退の一途を辿るばかりです。
< つづく >
小倉百人一首と藤原定家 その一
前回の問題 解答
三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、北原白秋と西條八十です。
今日の問題
小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
「 」にうち出でて見れば白妙の
「 」に雪は降りつつ
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