寛政四年九月三日(太陰太陽暦・2018年
のカレンダーで10月11日)、野付岬(北海
道北東部)の沖に、ロシア船が錨を下ろ
しました。
遣日使節ラクスマン以下のロシア人と
三名の日本人を乗せたエカテリナ号です。
光太夫と小市と磯吉の三名は、伊勢国
の住民で、乗船した神昌丸が七ヶ月間の
漂流の後、当時ロシア領だったアムチト
カ島(アレウト列島)に漂着し、十ヶ年の
歳月を経て、日本への帰国が許されたの
でした。
18世紀のロシアは、東はアラスカ・アレ
ウト列島(アリューシャン列島)から、西
はバルト海沿岸までを支配していました。
日本への帰国を認めてもらうためには、
シベリアを横断し、バルト海沿岸の首都・
ペテルブルグまで行かねばなりませんで
した。
野付岬に投錨したからといって、すぐ
に身柄がロシア側から日本側へ引き渡さ
れたわけではありません。
国交がないロシアと日本との間で、煩
雑な交渉が続きます。
根室で冬を越した後、三名の一人・小市
は、病死します。
光太夫と磯吉の二名がロシア側から日本
側へ引き渡されたのは、六月。
野付岬に投錨してから、十ヶ月が経過し
ていました。
前回の問題 解答
カタールと陸続きになっている国は、
サウジアラビアのみです。
今日の問題
光太夫と磯吉は、故郷に帰れたでしょ
うか。
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