象潟は、「東の松島・西の象潟」と称されるほど、東北地方における多島海の二大景勝地でした。
その景観は、紀元前466年に起きた鳥海山の大噴火がもたらしたものです。
以後、多くの文人が、はるばる象潟を訪れて、たとえ身は訪れられなくとも心躍れせて、象潟への想いを詩文に託してきました。
象潟が多島海・九十九島を形成して2270年後の1802年、象潟を中心とする日本海岸を大地震が襲います。
推定死者数の合計 500人以上
推定倒壊家屋数の合計 5500軒以上
隆起量の最大値 2.0m
「隆起量の最大値2.0m」は、象潟で測定されました。
日本海・象潟大地震は、人家に多大な被害をもたらした上に、「多島海・九十九島」の景観を一変させました。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に遭っても多島海の景観を保ち続けている松島との対照を、松尾芭蕉は予感していたのでしょうか。
松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
『奥の細道』松尾芭蕉
『地中海東岸地方 アラブ・ユダヤの垣根を越えて 』 12月の開進学園だより
『 平方根(非循環無限小数)の存在 』 9月の開進学園だより
前回の問題 解答
新潟県側に入ると「阿賀野川」と呼ばれますが、福島県側では「阿賀川」と呼ばれています。
今日の問題
小林一茶が日本海・象潟大地震の前に象潟を訪れて詠んだ俳句の〇に入る語句は、何でしょう。
象潟や浪の上行く〇の声
小林一茶が日本海・象潟大地震の後に象潟を訪れて詠んだ俳句の〇に入る語句は、何でしょう。
〇なくや象潟こんどつぶれしと
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