カテゴリー別アーカイブ: 和歌を詠む

〈 瞳の輝き 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』
(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、
〈 瞳の輝き 〉に因んだ短歌を、紹
介します。

  新任の君が瞳の輝きに 
   既知なる思ひに満つるは奇しき 

  進みゆく世にさまたげのありとして 
   君が瞳の強く輝く 

  瞳合う度にきらめく輝きを
   見のがせじとぞ生命の深き 

 〈 謡 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 友 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 卓球 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 まこと 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 子を思ふ 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 寒 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 乙女 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 秋 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 思ひ 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 命 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


shikishi harimado (2)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

       前回の問題 解答
 第二次朝鮮出兵(慶長の役)から二年後、イギリスは
東洋における植民活動のために、東インド会社を設立
します。
     

 
        今日の問題 
 次の書き出しで始まる物語名は、何でしょう。

  十年をひと昔というならば、この物語の発端は今
 からふた昔半もまえのことになる。
                 

 
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〈 本能寺の変 〉夏至の雨 その六

 羽柴(豊臣)秀吉は、籠城する清水軍を包囲するばか
りで、四国の高松を攻めあぐんでいました。
 梅雨時となり、秀吉は水攻めに転じます。
 高松の城下一帯を、湖と化したのです。

 そこへ、毛利の大軍が応援に駆けつけます。
 動転した秀吉は、信長に援軍派遣を要請します。

 五月十七日(太陰太陽暦・1582年・夏至の二日前)、
自ら大軍を率いることにした信長は、先鋒とする明
智光秀に、こう命じます。
 ★ 近江(滋賀県)と丹波(京都府中央部)の領地を、
  取り上げる。
 ★ 中国地方を平定した後に、出雲(島根県東半部)
  と因幡(鳥取県東半部)を、領地として与える。

 朝廷との深い繋がりを強みとしてきた光秀にとり、
都に近い領地を取り上げられ、都から遠く離れた領
地に遠ざけられることは、恥辱以外の何物でもあり
ません。

 二十七日、光秀は、丹波と山城の国境に聳える霊
峰・愛宕山を参詣し、決意の句を認めます。
   時は今 あめが下る 五月哉

 六月一日、雨が降っては止む梅雨空の下、光秀軍
は、四国へではなく、京都・本能寺へ突き進みます。

 夏至の前後は、梅雨の中でも降雨が最も活発な期間
に当たります。
 そのため、梅雨は「夏至の雨」とも呼ばれます。
                   < 完 >

 〈 長篠の戦い 〉      夏至の雨 その五

 〈 桶狭間の戦い 〉     夏至の雨 その四

 〈 夏至の宴会 〉      夏至の雨 その三

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 関宿から利根川を20kmほど遡上すると、三密・三県
地点がさらに二ヶ所あります。
  A 茨城県・埼玉県・栃木県
  B 埼玉県・群馬県・栃木県
     

 
        今日の問題 
 本能寺の変から11日後、次の歌を残して横死した戦
国武将は、誰でしょう。
   心しらぬ人は何とも言はばいへ
    身をも惜しまじ名をも惜しまじ
                 

 
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〈 長篠の戦い 〉夏至の雨 その五

 夏至の雨をうまく利用した織田信長は、桶狭間の戦
いの後、瞬く間に、戦国の世における主導的地位を獲
得します。

 桶狭間の戦いから15年後、今度は武田軍と戦いを交
えます。

 武田軍が約一万に対し、織田・徳川連合軍は約三
万。
 織田・徳川連合軍は、戦力面で圧倒する上、約2km
に渡って三重の防護柵を設置し、その内部に鉄砲隊
を配置しました。

 武田軍は、三重の防護柵に遮られて接近できずに立
ち往生している所を、鉄砲で狙い打ちされます。
 
 当時の鉄砲は、火縄銃です。
 火縄に着火してから発射するまで、しばらく待たな
ければなりません。
 雨が降っていれば、着火が難しくなります。
 着火後に雨が降り出せば、火は消えてしまいます。

 長篠の戦いがあった五月二十一日(太陰太陽暦・1575
年・夏至の日から二日後)は、梅雨の最中で雨が続く中
にありながら、わずかに降雨が止む間がありました。
 三重の防護柵や鉄砲隊の配置が功を奏したのは、気
象予測のおかげでした。

 なお、長篠の戦いにおいて、織田・徳川連合軍が鉄
砲隊を三編成に分けて鉄砲を連射したとか、武田軍が
騎馬武者軍団として疾走していたという話は、後の世
の創作のようです。         <つづく>

 〈 桶狭間の戦い 〉     夏至の雨 その四

 〈 夏至の宴会 〉      夏至の雨 その三

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 トランツ・アルパイン号は、クライストチャーチか
らグレイマウスまで、約4時間30分掛けて走ります。
     

 
        今日の問題 
 長篠の戦いにおいて武田軍の総大将であり、7年後
に次の辞世を残して旅立った戦国武将は、誰でしょ
う。
   朧なる月もほのかに雲かすみ
    晴れて行くへの西の山の端
                 

 
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〈 桶狭間の戦い 〉夏至の雨 その四

 五月十九日(太陰太陽暦・1560年・夏至の日)の早朝、
織田家の家臣達大半に本意を明かさぬまま、織田信長
は、馬に一人跨り城を後にします。
 付き従った家来は、数百名のみ。
 ただし、信長は確信していました。
 「快晴はすぐに崩れ、豪雨になる」と。

 桶狭間に着くと、夏至の陽が雲間に隠れたと思う間
もなく、雨が降り出し、あっという間に豪雨(一時間
当たりの降水量が120mm)になりました。

 今川の総勢は、二万五千余。
 これだけの大軍になれば、一つの陣では収容仕切れ
ません。
 いくつもの丘の上に、別々に陣を構えなければなり
ません。
 それらの丘と丘の間には、ぬかるんだ湿田が横たわ
っていました。
 普段でも歩きにくい湿田に豪雨が流れ込めば、丘の
上にある陣同士の行き来は極めて困難になります。
 豪雨を押して、信長の小部隊は、今川勢の本陣を目
指します。

 しばらくして、降り続いた豪雨は止み、夏至の陽が
射し込み始めます。
 その瞬間、信長の小部隊は、一気に今川勢の本陣へ
攻め入ります。

 今川勢は防戦の体制を整える間もなく、総大将の義
元を討ち取られてしまいます。
 大軍を再組織化することも適わず、今川勢は総崩れ
となり、てんでに敗走します。

 戦闘が開始してから、わずか二時間。
 極大の将は、極小の将に飲み込まれました。
 気象の変化を先読みできた信長の、一方的な大勝利
でした。              < つづく >

 〈 夏至の宴会 〉      夏至の雨 その三

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 「六十」は、「ろくじゅう(ふ)」以外に、「むそ」や「む
そじ」とも読みます。
     

 
        今日の問題 
 夏至の日に露と消え、次の歌が辞世となった戦国武
将は、誰でしょう。
    夏山の茂みふきわけもる月は
     風のひまこそ曇りなりけれ
                

 
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〈 謡 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』
(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、
〈 謡 〉に因んだ短歌を、紹介します。

  六十余の命尊み往く道を 
   謡稽古に向かう霜降の日 

  はかなさを知りてはかなき吾が身かも 
   謡舞する時ぞいとおし 

  いにしへの人の心や深からん
   謡言葉の妙なるぞ知る 

 〈 友 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 卓球 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 まこと 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 子を思ふ 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 寒 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 乙女 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 秋 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 思ひ 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 命 〉
    開進学園叢書・歌集『香る代に』から


shikishi harimado (2)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

       前回の問題 解答
 千葉県内で「日本の棚田百選」に選ばれているのは、
大山千枚田(鴨川市)です。
     

 
        今日の問題 
 「六十」は、「ろくじゅう(ふ)」以外に、何と読むでし
ょう。 
                

 
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〈 夏至の宴会 〉夏至の雨 その三

 時代は、1560年に遡ります。
 戦国の世も、終盤に差し掛かるころです。

 今川義元(現・静岡県が拠点)は、北の武田信玄(勢力
範囲は現・山梨県と長野県)・東の北条氏康(勢力範囲は
現・神奈川県と東京都と埼玉県)と同盟を結び、西(現・
愛知県)へ勢力圏の拡大を図ります。

 三河の国(現・愛知県東部)は、瞬く間に落ちます。
 松平竹千代(徳川家康の幼名)は、人質として駿府(現
・静岡市)に行かされます。

 今川義元は、梅雨をものともせず、大軍を率い、尾
張の国(現・愛知県西部)へ進軍します。

 尾張の国を支配する織田家は、信長の兄が生け捕り
にされるなど、混乱の度が高まるばかりです。
 織田勢の砦は、今川勢に次々と攻め落とされます。
 織田家の大勢は、弟・信長の下に一斉に決起できる
状況ではありません。

 五月十九日(太陰太陽暦・1560年)は、夏至の日です。
 当日は、朝から晴れ渡って暑かったと、伝えられて
います。

 連戦連勝に沸く今川勢は、進軍を止め、陣内で宴会
を始めます。
 戦勝祝いでしょうか。
 天下統一の祈願でしょうか。
 夏至の祭りでしょうか。
 陣が周囲より高い丘の上にあるという地形的優位性
も手伝い、戦場にある身という緊張感が、五月晴れの
下で急速に緩んでいきます。     <つづく> 

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 仁右衛門島に1840年に建立された句碑に刻まれ
る、次の俳句を詠んだ俳聖とは、松尾芭蕉です。
   海暮れて 鴨の聲 ほのかに白し
     

 
        今日の問題 
 次の歌を残している戦国武将は、誰でしょう。
   昨日なし 明日またしらぬ 人はただ
    今日のうちこそ 命なりけれ
                

 
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『百人一首』と係り結び

 1235年五月二十七日(2021年のカレンダーでは7月
6日)は、『百人一首』の成立が確認された日であり、
「百人一首の日」とされています。

 『百人一首』の特色の一つに、係り結びの多用があ
ります。
 全百首中、三十九首に用いられ、総数は四十一例に
上っています。

 係り結びは、次の関係です。
 A 係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」に呼応する活用語
  は、連体形になる。
 B 係助詞「こそ」に呼応する活用語は、已然形に
  なる。
   * 活用語=動詞・形容詞・形容動詞・助動詞

   『百人一首』第三首
  あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
   ながながし夜を ひとりかも寝む
     か=係助詞
     む=推量の助動詞の連体形

 『百人一首』の制定以降、係り結びは次第に用いら
れなくなります。
 連体形が終止形と同形になることが多く、係助詞
「こそ」を用いた強調表現が減少するからです。

 くわしくは、『開進学園だより 係り結びの盛衰』
を、お読み下さい。

百人一首 表紙
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
       前回の問題 解答
 現代でも60進法が用いられているのは、時間以外に
角度などがあります。
  

 
        今日の問題 
 『百人一首』第五首で用いられている係り結びは、
何でしょう。
                

 
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