〈 長篠の戦い 〉夏至の雨 その五

 夏至の雨をうまく利用した織田信長は、桶狭間の戦
いの後、瞬く間に、戦国の世における主導的地位を獲
得します。

 桶狭間の戦いから15年後、今度は武田軍と戦いを交
えます。

 武田軍が約一万に対し、織田・徳川連合軍は約三
万。
 織田・徳川連合軍は、戦力面で圧倒する上、約2km
に渡って三重の防護柵を設置し、その内部に鉄砲隊
を配置しました。

 武田軍は、三重の防護柵に遮られて接近できずに立
ち往生している所を、鉄砲で狙い打ちされます。
 
 当時の鉄砲は、火縄銃です。
 火縄に着火してから発射するまで、しばらく待たな
ければなりません。
 雨が降っていれば、着火が難しくなります。
 着火後に雨が降り出せば、火は消えてしまいます。

 長篠の戦いがあった五月二十一日(太陰太陽暦・1575
年・夏至の日から二日後)は、梅雨の最中で雨が続く中
にありながら、わずかに降雨が止む間がありました。
 三重の防護柵や鉄砲隊の配置が功を奏したのは、気
象予測のおかげでした。

 なお、長篠の戦いにおいて、織田・徳川連合軍が鉄
砲隊を三編成に分けて鉄砲を連射したとか、武田軍が
騎馬武者軍団として疾走していたという話は、後の世
の創作のようです。         <つづく>

 〈 桶狭間の戦い 〉     夏至の雨 その四

 〈 夏至の宴会 〉      夏至の雨 その三

 〈 北ヨーロッパの夏至 〉  夏至の雨 その二

 〈 日照時間が短い夏至 〉  夏至の雨 その一

アジサイ 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       前回の問題 解答
 トランツ・アルパイン号は、クライストチャーチか
らグレイマウスまで、約4時間30分掛けて走ります。
     

 
        今日の問題 
 長篠の戦いにおいて武田軍の総大将であり、7年後
に次の辞世を残して旅立った戦国武将は、誰でしょ
う。
   朧なる月もほのかに雲かすみ
    晴れて行くへの西の山の端
                 

 
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