〈 動力源 〉世界を牛耳るウシ その7

 日本の食文化は、肉が中心ではなく、米が
中心でした。
 米が主食であり、おかずは野菜や大豆製品
がほとんどを占めていました。

 魚は、たまに食べる程度でした。
 鶏卵は、貴重品でした。

 まして肉は、めったに口にできません。
 特別なお祝いの際に、飼っているニワトリ
を捌くぐらいです。
 ブタやウシに至っては、よほどのことがな
い限り、屠殺できません。
 衰弱して働けなくなったなど、やむをえな
い時に限られました。

 近世までの日本社会におけるウシは、牛肉
用や牛乳用ではなく、日々の力仕事に役立て
るための存在でした。
 文字通り、動力源でした。  <つづく> 

 〈 すき焼き 〉
    世界を牛耳るウシ その6


 〈 牛の力 〉
    世界を牛耳るウシ その5


 〈 赤ベコ 〉
    世界を牛耳るウシ その4

 〈 月への捧げ物 〉
    世界を牛耳るウシ その3


 〈 神様の乗り物 〉
    世界を牛耳るウシ その2


 〈 丑の年の、丑の日の、丑の刻の生まれ 〉
    世界を牛耳るウシ その1


牛 一頭
 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

     前回の問題 解答
 中国の東北部を東西に横切る鉄道は、当時
の中国王朝・清に因んで、東清鉄道と呼ばれ
ていました。
  

 
      今日の問題 
 明治維新から五年後に食肉が解禁されたのは、
どのような人々でしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ホームページ
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です