1962年から始まった印旛沼開発事業は、洪水対
策とともに、干拓も行われました。
V字型をしていた水域は、中央干拓地となりま
した。
干拓されずに残った水域は、北印旛沼と西印旛
沼に分かれます。
北印旛沼と西印旛沼とを、中央干拓地を通る中
央排水路が結ぶだけでは足りません。
そこで、北印旛沼と西印旛沼を、短距離で直結
させるために開削したのが、印旛沼捷水路です。
1966年、印旛沼捷水路工事現場で、大発見が起
きました。
ナウマン象の全骨格が、日本で初めて発掘され
たのです。
写真上方に架かる橋の直下に当たる捷水路の河
床が、発掘地点のようです。
ナウマン象は、現鹿島灘を湾口として西側へ奥
深く開けた広大な古鬼怒湾の、南へ南へと続く細
長い入り江(現印旛沼)を、どのような思いで眺め
ていたのでしょうか。
地図の出典『生きている印旛沼』白鳥孝治著
〈 白鳥の湖 〉 房総紀行
〈 飛び立つ水鳥 〉 房総紀行
〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉 房総紀行
前回の問題 解答
次の三・一独立宣言の○○○に入る語句は、
「独立国」と「自由民」です。
われらはここにわが朝鮮国が○○○であるこ
と、および朝鮮人が○○○であることを宣言す
る。
今日の問題
ナウマン象の骨格発掘により、日本列島と
ユーラシア大陸がどのような状況だったと、
言えるでしょう。
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