〈 白鳥の湖 〉房総紀行

 早春の湖畔を進むと、手賀沼から手賀川にかけ
て、たくさんの白鳥が佇んでいました。
 白鳥を見れば、『バレエ組曲 白鳥の湖』の旋
律が浮かんできます。

 『バレエ組曲 白鳥の湖』が初演されたのは、
1877年の3月4日です。
 反響は思わしくなく、チャイコフスキーの存命
中に再演されることはありませんでした。

 ロシアを旅した折、チャイコフスキーの住居跡
に造られた、記念館を訪れました。
 そこで聴いた『ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調』
は、レコードであるにもかかわらず、実演奏のよ
うな臨場感に溢れていました。

 チャイコフスキーの作品には、『序曲 1812
年』もあります。
 ナポレオン側からの表記「ロシア遠征」・ロシア
側からの表記「1812年祖国戦争」は、双方に数十万
人もの戦死者を出しました。

 侵略は、侵略された国にも、侵略した国にも、
甚大な被害を招くことを、歴史は繰り返し明らか
にしています。
 とりわけロシアは、度重なる侵略を受け、侵略
された側のみならず、侵略した側の、被害の深刻
さを身に染みているはずです。
 それなのに今般の蛮行が行われたのは、軍事の
全権を、民主ではなく、国主(国王・大統領・・・)に
一任していたからではないでしょうか。
 
 チャイコフスキーは、1892年に遺作となる『交
響曲第6番ロ短調』を発表します。
 初演された翌日、副題を『悲愴』にするか『悲
劇的』にするか悩んだ末に『悲愴』と決め、以後
『交響曲第6番ロ短調 悲愴』はチャイコフスキー
の代表曲となります。

手賀沼 白鳥

〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

〈 森のレストラン 〉      房総紀行

〈 さんぶの森公園 〉      房総紀行

〈 山武市 津波避難広場 〉   房総紀行

〈 日本で唯一の四方懸造 笠森寺観音堂 〉

〈 九十九谷 〉         房総紀行

〈 上勝田第一アーチ橋 〉    房総紀行
  
 
       前回の問題 解答
 「ルーシ(ロシア)の都市の母」と呼ばれているの
は、キエフです。
 

 
        今日の問題 
 『バレエ組曲 白鳥の湖』が再演されたのは、
チャイコフスキーが亡くなって何年後でしょう。
    

 
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