北へ北へと流れ下ってきた信濃川は、日本海まで約8kmの地点で日本海に並行するように北西へ進路を変えます。
そして、日本一の水量を誇る信濃川は、越後平野に洪水をもたらします。
特に1896年に起きた大洪水は、越後平野ほぼ全域を泥沼と化し、5ヶ月間が過ぎても泥水が引きませんでした。
その結果、伝染病が蔓延し、1200人以上が亡くなりました。
そこで、信濃川の水路を日本海へ短絡させて、本流の水量を調節する構想が具体化されます。
1907年 工事決定
1909年 工事開始
1922年 通水開始
1927年 自在堰陥没
1931年 可動堰完成
こうして造られた大河津分水は、洪水時に全水量を分水路へ流して、越後平野を洪水から守っています。
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前回の問題 解答
英語の「barefoot season」は、日本語で「素足の季節」に当たります。
今日の問題
大河津分水の工事には、延べ何人が携わったとされているでしょう。
A 約1万人
B 約10万人
C 約100万人
D 約1000万人
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