藤原定家が『小倉百人一首』を編集したのは、74歳の時でした。
その3年前に、権中納言(大臣・大納言に次ぐ地位)になったのを最後に、官職を離れています。
藤原定家は、71歳まで現役で働いていたことになります。
官職は退いても、『新勅撰和歌集』を編集するなど、活躍は続きます。
ここまでを聞けば、老いて益々盛んなりと言えそうです。
しかしながら、藤原定家は幼い頃から極めて病弱でした。
赤斑瘡や天然痘などの大病を患い、何度も絶命の危機に直面しました。
老いてからは、リュウマチや気管支喘息などに苦しめられました。
病と闘い続けた生涯でした。 < つづく >
『小倉百人一首』と藤原定家 その七
『小倉百人一首』と藤原定家 その六
『小倉百人一首』と藤原定家 その五
『小倉百人一首と藤原定家』 その一
前回の問題 解答
日本で発生する食品ロス量(一年間分)は、国連世界食糧計画が行っている食料援助量(一年間分)の、約140%(1.4倍)に当たます。
今日の問題
『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
「 」は都のたつみしかぞ住む
「 」と人はいふなり
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