『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして失敗した承久の乱の後、京都に六波羅探題が、全国各地に新補地頭が置かれて、鎌倉幕府の権力は日本中に行き渡ります。
 さらに、武家政権の維持と強化を図るべく、御成敗式目が制定されます。

 このように武家社会が確立していく過程で、『小倉百人一首』は編集されます。
 藤原定家は、崩壊する天皇制貴族社会に、見切りをつけたかったのでしょう。

 『小倉百人一首』では、一番に天智天皇の歌を選んでいます。
 天智天皇は、蘇我氏を滅ぼし、大化改新を断行し、天皇絶対体制を築き上げました。
   秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
    我が衣手は露にぬれつつ
     < つづく > 

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 脊柱にある脳から続く神経が通る管を、脊柱管と呼びます。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」の渡せる橋に置く霜の
    「 」を見れば夜ぞ更けにける

 
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