五井駅(内房線)の方に向かって、南東から北西方向へ、舌状の台地が三つ突き出ています。
そのうち、北寄りの台地に、上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺)が、建立されていました。
中ほどの台地には、市原市役所が建っています。
そして、南寄りの台地には、上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)が、建立されていました。
上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺)は、全国の法華滅罪之寺(国分尼寺)の中で、最大の規模です。
上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)は、全国の金光明四天王護国之寺(国分寺)の中で、三番目の規模です。
畿内(当時の日本の中心)から遠く離れた地に、これほどの法華滅罪之寺(国分尼寺)と金光明四天王護国之寺(国分寺)が建立される程、当時の上総は国力が豊かだったのでしょう。
そのころのヤマト政権は、朝鮮半島と対峙するために、九州に防人(さきもり)を配置していました。
防人は、全国から毎年約1000人ずつ徴集されていましたが、そのうち半数は上総と下総の農民でした。
写真は、法隆寺五重塔の二倍近い高さを誇った、七重塔の心礎です。
前回の問題 解答
次のことわざの「 」に入る語句は、勤勉です。
「 」は成功の母
今日の問題
上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)の七重塔の高さは、どれでしょう。
A 約13m
B 約23m
C 約33m
D 約43m
E 約53m
F 約63m
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