忠敬は、佐原を離れて江戸に居を構え、
人生後期の道を歩み出します。
後になって、東北地方と北海道地方の
測量ができるように、江戸幕府と交渉し
てくれたのは、三番目の妻・ノブの父親
である桑原隆朝でした。
忠敬は、大阪から忠敬と同じ年に江戸
へ出てきた天文学者・高橋至時の下へ、
50歳で弟子入りします。
高橋至時は、その時31歳。
19歳も年下の師を得た忠敬は、毎日喜
々として天体観測や歩測を続けます。
53歳になり、四番目の妻として迎えた
のが、エイでした。
名前は分かっていますが、生年も、没
年も、経歴も、どのような縁があって忠
敬と結ばれたかも、一切不明です。
分かっているのは、読書が好きで、算
術が得意で、忠敬の地図作成を手助けし
たこと位です。 <つづく>
伊能忠敬と四人の妻 その6
伊能忠敬と四人の妻 その5
伊能忠敬と四人の妻 その4
伊能忠敬と四人の妻 その3
伊能忠敬と四人の妻 その2
伊能忠敬と四人の妻 その1
前回の問題 解答
人口が千人以上いる町のうち、世界
で最も北に位置するのは、スピッツベル
ゲン島の町・ロングイヤービエンです。
今日の問題
忠敬が東北地方へ測量に出かけるのは、
四回目の結婚から何年後のことでしょう。
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