小林弥太郎(後の一茶)は、二歳で生母
を亡くし、祖母によって育てられます。
八歳の時、父は再婚します。
動作が遅い弥太郎は、手際よくまめに
働く継母と、かみあいません。
腹違いの弟が誕生すると、継母からつ
らくあたられます。
杖のうきめ当てらるる事、日に百度、
月に八千度、一とせ三百五十九日、目の
はれざる日もなかりし。
『父の終焉日記』
小林一茶 著 岩波書店
継母(+実父)からいじめられ続ける弥
太郎をかばうのは、祖母のみ。
弥太郎が十四歳の時、その祖母が死去。
継母との対立は、激しさを増すばかり。
実父は、十五歳の弥太郎を、江戸へ奉
公に出します。
以後十四年間、信濃の故郷に戻ること
はありませんでした。
我と来て遊べや親のない雀
六歳 弥太郎
小林一茶 1828年霜月十九日(2016年
の場合は12月17日) 永眠
享年 六十六
前回の問題 解答
水俣湾で捕れた魚を食べて水俣病にな
ることが分かった後、厚生省は魚の捕獲
と流通を禁止していません。
今日の問題
我と来て遊べや親のない雀
この句が載っている本の書名は、何で
しょう。
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