星々が日常生活から縁遠くなった背景には、太陽暦の採用も関係していそうです。
日本では東京時代(明治時代)の初頭まで、太陰太陽暦が用いられてきました。
「新月(朔)➡満月➡新月(朔)」が、文字通りのひと月でした。
その夜の月の満ち欠けを観れば、何日であるかが分かります。
夜空は、カレンダーでした。
太陽暦が採用されて日にちの確認を印刷物に頼るようになると、月の満ち欠けに気を配る必要がなくなります。
夜空を見上げなくとも、何日であるかが分かるからです。
太陽暦は、「一日=24時間」制も確定させました。
日の出から日の入りを等分して時刻を定める方式では、季節によっても、地域によっても、時刻が異なります。
太陽暦と「一日=24時間」制は、年中・全国共通の時刻をもたらしました。
その結果、全国民を統合する上で多大な力を発揮します。
「一定の時刻に始まり、一定の時刻に終わる」、「一定の時間内にどれだけ生産するか」・・・と、生活のあらゆる側面が時間に拘束されていきます。
< つづく >
ヘール・ボップ彗星
出典『ニュートン 2020年10月号』ニュートンプレス
〈 星空で世界遺産を目指すタカポ(テカポ) 〉
テ・ワイ・ポウナム紀行 その9
前回の問題 解答
氷点下40℃にもなる中での第一次ソ連・フィンランド戦争(冬戦争)において、フィンランドでは、決してあきらめない心を意味し、国民性を表現する、「Sisu(シス)」が共有されました。
今日の問題
三大流星群の一つで、毎年8月に極大を迎えるのは、何流星群でしょう。
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