田山花袋が6歳の時、父親は西南戦争に
従軍し、熊本県益城で戦死します。
田山花袋が33歳の時、日露戦争に従軍
写真班として参加、腸チフスに罹って
現地で入院生活を送ります。
おそらく、この体験を基に創られた
のが、『一兵卒』です。
出発の時、此の身は国に捧げ、君に
捧げて遺憾が無いと誓った。再びは
帰って来る気は無いと、村の学校で
雄々しい演説を為た。
当時は元気旺盛、身体壮健であった。
で、さう言っても無論死ぬ気はなかった。
心の底には花々しい凱旋を夢みて居た。
であるのに、今忽然起こったのは
死に対する不安である。自分はとても
生きて還ることは覚束ないといふ気が
烈しく胸を衝いた。
此の病、此の脚気、たとひ此の病は
治ったにしても戦場は大いなる牢獄で
ある。いかに藻搔いても焦ってもこの
大なる牢獄から脱することは出来ぬ。

1930年5月13日 田山花袋 永眠
享年 五十九
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「ピザ店をしていた実家のピザ」です。
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「四里の道は長かった。」
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