『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 承久の乱が起きた時、藤原定家は60歳でした。
 自分の和歌の才能を引き出してくれたのも、和歌における地位のみならず、貴族としての地位を与えてくれたのも、後鳥羽上皇でした。
 その恩深き後鳥羽上皇の許を離れて、鎌倉幕府側に立たねばならぬ藤原定家の胸中は、如何ばかりだったでしょう。
 
 されど、背に腹は代えられません。
 自分が所有する荘園を維持するためには、鎌倉幕府の力に頼らざるをえなかったからです。

  人をもし人も恨めしあぢきなく
   世を思ふゆゑに物思ふ身は

 『小倉百人一首』第九十九番・後鳥羽上皇の歌は、藤原定家の思いも表れているようです。  < つづく >
小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の五浦海岸です。
 

       今日の問題 
 『小倉百人一首で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」に紅葉ふみわけ』鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき

 
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