大宰府政庁跡の北側に、 四王寺山があります。
岩屋山・大城山・大原山・水瓶山の四山で構成される山々で、標高は410mです。
山域の合計は約120haあり、その全域が山城でした。

663年、唐・新羅連合軍と日本・百済連合軍が朝鮮半島南部の覇権を争いました。
この白村江の戦いで日本・百済連合軍は敗れ、唐・新羅連合軍が日本へ侵攻するのではないかと危惧されました。
そこで四王寺山に築かれたのが、大野城です。
山腹には、当時の土塁や石塁が残っています。

山頂には大きな礎石も多数点在しています。
幸い唐・新羅連合軍は日本へ侵攻せず、大宰府政庁の人々が大野城へ上って籠城するには至りませんでした。
平安時代になると山域に四天王寺が建立され、以後は信仰の山として崇められるようになります。

〈 柳川城址と藩主別邸 〉築紫紀行その7
〈 柳川・北原白秋生家 〉築紫紀行その6
前回の問題 解答![]()
秀吉は、利休を「服わぬ人物」と見なしたかもしれません。
「服わぬ」とは、「まつろわぬ」です。
今日の問題
四王寺山に大野城が築かれたのは、白村江の戦いが起きた663年の何年後でしょう。
