『7月26日から9月7日までの間に 』 9月の開進学園だより

 1945年7月26日に、『日本への降伏要求の最終宣言』、会談場所に因んだ通称『ポツダム宣言』が、発表されました。
 この宣言を主導したアメリカは、日本へ降伏させる期日を、7月26日から「遅く」はさせず、さりとて「早く」はさせません。

 アメリカは、1945年11月1日から九州南部上陸作戦を、1946年3月1日から九十九里浜と湘南海岸上陸作戦を、計画していました。
 沖縄での地上戦を遥かに上回る惨状を引き起こすことは必至の上陸作戦まで、降伏を遅らせたくなかったでしょう。

 アメリカは、1945年4月に行われたヤルタ会談では、ソ連の対日戦への参加を、強く期待していました。
 その後、米ソ対立・東西対立が激化し、ソ連が対日戦へ参加するより前に日本を降伏させて、戦後日本の単独占領を狙います。

 もし「天皇家と天皇制の維持」を確約すれば日本がすぐにでも降伏すると、アメリカも承知していました。
 しかし、そうはしませんでした。
 日本に即刻降伏されたら、ある巨大実験を実施する千載一遇の機会を逸してしまうからです。

 日本中の都市という都市に空襲を受ける中で、中国地方の中枢都市は、ほとんど無傷を保ちました。
 来るべき巨大実験において、無傷の都市がどれほど変貌を遂げるかを、検証するためでした。

 1945年8月6日、広島へ原子爆弾が投下されます。
 1945年8月9日、ソ連が対日戦に参戦します。
 1945年8月9日、長崎へ原子爆弾が投下されます。

 その後も沖縄では、生き地獄のような地上戦が続きます。
 沖縄戦が公式に終結したのは、1945年9月7日です。

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 四王寺山に大野城が築かれたのは、白村江の戦いが起きた663年の2年後です。
               

 
 
     今日の問題  
 『日本への降伏要求の最終宣言』は、発表した三ヵ国に関連して、『何宣言』と呼ばれているでしょう。

    

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