千利休と豊臣秀吉 その12

 豊臣秀吉は、なにゆえに千利休へ切腹を命じたのでしょう。

 公にされている理由その一は、「大徳寺の山門の上部へ、利休の像を立てた」ことです。
 雪駄を履いている利休像の真下を秀吉に潜らせるとは何事ぞ、というものです。
 由緒ある大徳寺の山門へ、生前に自らの像を立てるなど、天下人にも許されるものではません。
 たとえ大徳寺側の意向で立てたとしても。

 公にされている理由その二は、「利休が、茶器の目利きをしながら、不当な報酬を得ている」ことです。
 利休の鑑定によって茶器の価値が左右されれば、秀吉がそれまでに収集してきた茶器の価値が、揺るがされるかもしれません。
 大事に至る前に、疑惑の基を裁つ必要があると考えたのでしょうか。
           < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
 下記の『続堕落論』の作者は、坂口安吾です。
 天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
               

 
 
     今日の問題  
 秀吉は、利休を「服わぬ人物」と見なしたかもしれません。
 「服わぬ」は、何と読むでしょう。

    

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