カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈一夜城・94日間の国家中枢 〉小田原紀行 その四

 小田原駅から南西部にある丘陵を上って行くと、眼下に小田原の街並みが、やがて広大な相模湾が、見渡せてきます。
 山頂は、標高262mの石垣山です。

 1590年、北条軍が籠城する小田原城を包囲していた豊臣軍は、石垣山の山頂に戸板や障子などを組み合わせて城郭もどきの大道具を作り、周りを取り囲む木々を一斉に切り倒しました。
 一夜にして城郭が山頂にできたと、北条軍を慌てふためかせる作戦でした。
 これが「一夜城」の由来です。

 ただし、これは脅しの序曲に過ぎません。
 その後4万余の大軍を動員し、約80日間をかけて、本格的な城郭を構築します。
 本丸・二の丸・三の丸を擁する石垣城です。

 豊臣秀吉は石垣城を居城にし、徳川家康・蒲生氏郷・前田利家・上杉景勝ら、名だたる武将達が石垣城へ参集しました。
 豊臣軍が小田原城を開城させた後に奥州鎮定に向かうまでの94日間、石垣城は日本の国家中枢の役割を果たしていました。

小田原 一夜城

〈 白秋童謡館 〉小田原紀行 その三

〈 小田原文学館 〉小田原紀行 その二

〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
  始発・ウラジオストクを深夜に出発したシベリア鉄道・ロシア号が、終点・モスクワに到着するのは8日後です。
  
 

 
      今日の問題  
 補修も改造もされることなく、築城当時の姿をとどめている城郭は、小田原の何城でしょう。
       

 

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〈 能登半島・白丸地区の黒瓦 〉本州の海岸線一周 その60

 九十九湾を後にして北上すると、すぐに白丸地区に着きます。
 地名の「白」に因んだ「白瓦」かとの期待に反して、能登半島の他の地区と同様に、「黒瓦」の家が軒を連ねています。

 「黒瓦」は、釉薬にマンガンを主原料にすることで、江戸時代までの「赤瓦」に代わって用いられました。
 さらに、厚く重くしたことにより、寒さ・積雪・塩害に強く、屋根に積もった雪が早く滑り落ちるとされ、能登半島中で使われてきました。

 しかしながら、2024年1月1日に発生した能登半島地震は、「黒瓦」が重くのしかかった家々を傾け、倒していきました。
 白丸地区の海岸には4.7mの津波が押し寄せ、「黒瓦」の家々を飲み込みました。
 白丸地区の海沿い集落35世帯中11棟が全焼し、「黒瓦」は防火の責務を果たし切れませんでした。

 「黒瓦」は、「能登瓦」とも呼ばれて能登半島を代表する景観を創ってきましたが、岐路にさしかかっています。

 なお白丸地区は、能登半島地震が引き起こした津波による最大痕跡高4.7mを記録しています。
石川県 白丸集落 黒瓦

〈 能登半島 九十九湾 〉本州の海岸線一周 その59

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58 

〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

 
 
 

      前回の問題 解答
 皐月二十一日(太陰太陽暦・太陽暦で1827年6月26日)に献呈された『日本外史』の著者は、頼山陽です。
  
 

 
      今日の問題  
 輪島市の黒島は、「黒瓦」の景観が優れていることで、「何保存地区」に指定されているでしょう。
       

 

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〈 白秋童謡館 〉小田原紀行 その三

 小田原文学館の別館として、白秋童謡館が建っています。

 北原白秋は、33歳(1918年)から40歳(1925年)まで、小田原で暮らしていました。
 転居して間もなく、『赤い鳥』の創刊に尽力します。

 転居から4年目には、何度かの離別を経て、生涯の伴侶を得ます。
 その年に発表されたのが、『揺籃のうた』で、「日本の歌百選」に選ばれています。
  揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
  ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

 転居から5年目には長男が生まれ、穏やかな家庭生活を送れると思っていた矢先、関東大震災が発生します。
 小田原は、全半壊が約約8000軒、消失が約2000軒・・・という大被害に見舞われます。
 その渦中、北原白秋は次の手記を残しています。
  地はまた絶えず鳴り動いた。
  だが私の前にも後ろにも、今のかぎりの胡麻の花がうす紅く震えていた。
     < 中略 >
  こうした恐ろしい時も、胡麻は胡麻としての知恵と営みをやっぱし続けている。

小田原 白秋童謡館 玄関

小田原 白秋童謡館 縁側 

〈 小田原文学館 〉小田原紀行 その二

〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
 シベリア鉄道の全長9297kmは、東海道本線(東京~神戸)の約16倍です。
  
 

 
      今日の問題  
 北原白秋が小田原で生活している間に創ったのは、次のどの作品でしょう。
  あわて床屋
  からたちの花
  この道
  ペチカ
  待ちぼうけ
       

 

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〈 能登半島・九十九湾 〉本州の海岸線一周 その59

 本州の海岸線一周の旅は、富山県を後にして、石川県に入ります。
 行政的には石川県ですが、地形的には能登半島です。

 能登半島の東海岸を進めば、西側に大きく窪んできます。
 七尾南湾・七尾西湾・七尾北湾と、続きます。
 大口瀬戸を過ぎると、富山湾沿いに進むことになります。

 国道249号線から県道35号線に入ってしばらく行くと、広大な富山湾とは対照的な小さな湾が連続してきます。
 「百」には届かないものの、数え切れない程ということで「九十九」と名付けられた「九十九湾」です。

 海岸の岩壁に沿って、遊歩道が整備されています。
石川県 九十九湾 岸辺の遊歩道

 海中には踏み石も設置されています。
 踏み石を渡っていると、海面を歩いているかのような錯覚に陥ります。
 海とは言え波が無く、水面はあくまでも穏やかです。

石川県 九十九湾 海中踏み石

 ただし、岩壁には大きな穴が開いていました。
 普段は波静かな九十九湾でも、波の浸食は続いてきたはずです。
 時には想像を絶する大波が打ち寄せたことがあったでしょう。
 2024年1月1日に発生した能登半島地震・津波のように。

石川県 九十九湾 岸辺の巨岩

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58 

〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

 
 
 

      前回の問題 解答
 「西海子小路」は、「さいかちこうじ」です。
  
 

 
      今日の問題  
 能登半島の「九十九湾」と、長崎県の「九十九島」は、それぞれ何と読むでしょう。
       

 

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〈 小田原文学館 〉小田原紀行 その二

 小田原城と相模湾との仲程に、小田原文学館があります。
 「最後の志士」とも呼ばれる田中光顕が建てた、スペイン風洋館です。
 そこには、小田原に居を構えた作家が、紹介されています。
 それらの作家のうち五人による代表作品の冒頭は、次の通りです。

   尾崎一雄 『まぼろしの記』
 挿木や根分けはもちろんだが、種子から育てた木でも、十年経つと結構大きくなるものだ。・・・
     日本の文学 52  中央公論社

   川崎長太郎 『伊豆の街道』
 花枝は、十一月から、暮へかけて一篇ずつ三回、竹七の小屋へ、夫の作品を持ちこんでいた。・・・
     日本の文学 80  中央公論社

   北村透谷 『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
 繊巧細弱なる文学は端なく紅湖の嫌厭を招きて異しきまでに反動の勢力を現わし来たりぬ。・・・
     日本の文学 77  中央公論社

   佐藤春夫 『女人焚死』
 六月七日。このころともなれば、さすがの寒国信濃の小県、筑摩あたりの山地にも春風が吹きはじめ、久しく雪に埋れていた野山にも草木の芽が萌える。・・・
     日本の文学 31  中央公論社

   谷崎潤一郎 『母を恋うる記』
 空はどんよりと雲っているけれど、月は深い雲の奥に呑まれているけれど、それでもどこからか光が洩れて来るのであろう、外の面は白々と明るくなっているのである。・・・
     日本の文学 23  中央公論社

小田原 文学館 表口

小田原 文学館 裏手

〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
 五月二十一日(太陰太陽暦・太陽暦で720年6月26日)に完成した編年体の歴史書は、『日本書紀』です。
  
 

 
      今日の問題  
 尾崎一雄・川崎長太郎・北村透谷・佐藤春夫・谷崎潤一郎のなかで、出生地が小田原なのは、誰でしょう。
       

 

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〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

 小田原の名産と言えば、古くから蒲鉾が知られていました。
 相模湾で獲れる豊富な魚が、材料でした。
 さぞかし漁港も整備されていたのだろうと、推察されます。

 ところが、小田原に漁港はありませんでした。
 小田原の海岸は、御幸の浜に代表されるように、砂浜に覆われています。
 そこに漁港を建設するのは、難工事が予想されます。

 地元では漁港建設が悲願となっていましたが、機運が盛り上がっては戦争で中止が、繰り返されました。
 本格的な工事に着手したのは、第二次世界大戦から5年が経った、1950年でした。
 それから18年を費やし、1968年にようやく完成しました。

 漁港が完成してから今年で56年目に当たります。
 水田やミカン畑を掘って造られた、国内では珍しい掘り込み式漁港は、これからも相模湾の幸を続々と水揚げしてくれることでしょう。

小田原 港

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
 総務省の調べによれば、缶コーヒー1杯(130円)は、お茶碗5杯分のご飯の値段に相当するそうです。
  
 

 
      今日の問題  
 小田原漁港は、「日本で一番、駅から近い漁港」がキャッチフレーズです。
 では、何駅から何分で着けるのでしょう。
       

 

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〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 米一俵(60kg)の、東京・深川における年間平均価格です。
  1916年  五円五十銭
  1917年  八円十四銭
  1918年 十三円十銭
 1918年の米価は、1916年の米価の約2.4倍にも暴騰しています。
 1918年からはシベリア出兵が開始され、米価はさらに高騰が予測されます。

 1918年7月23日、魚津の港には、北海道へ米を移送しようとする輸送船が停泊していました。
 米が県外へ移送されれば、魚津の米の価格が上昇するのは必定です。
 食べられる米が無くなるかもしれません。
 そこで魚津のおかみさん達が輸送船の前に集まり、米の移送を止めるよう、歎願します。

 これを契機として、全国各地で米価高騰に対する抗議行動が巻き起こります。
 魚津での行動は、米騒動の発火点でした。

 米騒動が全国へ波及すればするほど、「発火点・魚津」は知れ渡ります。
 「発火点・魚津」は、一部の人々から誹謗や中傷の的にされます。

 そこで魚津は、米騒動の意義を広く伝えるとともに、豊かな街造りも進めます。
 その一環が、リンゴ並木です。

富山県 魚津 リンゴ並木

〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48
 
 
 

      前回の問題 解答
 東北地方太平洋沖巨大地震が起こした巨大津波は、八戸(青森県)へ最大6.2mで押し寄せました。
  
 

 
      今日の問題  
 米騒動は、1918年からの第三次以前に、1890年の第一次と1897年の第二次があります。
 では、第二次米騒動の発火点となったのは、どこでしょう。
       

 
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