丹後半島を経て、国立公園に指定されている山陰海岸を一路西進します。
香住海岸を過ぎると、北側を日本海・残り三方を山々に囲まれた、余部地区に至ります。
その余部地区の頭上を、新余部橋梁が東西に跨いでいます。
日本海に沿って京都から下関までを結ぶ山陰本線の建設に当たり、難関だったのは余部地区の頭上通過区間でした。
のべ25万人を動員して余部鉄橋が1912年1月に完成したことによって、同年3月に山陰本線は全線開通します。
その後、鉄橋の橋桁ごとに橋守を配置するなど、鉄橋を保持する懸命な作業が続けられました。
ところが、1986年に悲劇が起きます。
暮れも押し迫った12月28日、列車運行規制風速20m/sを大幅に超えているにもかかわらず、風速計が故障していたため、乗客を降ろした直後の回送列車が余部鉄橋に進入して、脱線転落しました。
車掌1名と鉄橋直下約41mの水産加工場従業員5名が死亡、運転司令員3名が有罪判決を受け、上司の運転区長が自殺しています。
この事故を受け、2010年に余部鉄橋に代わる新余部橋梁が完成しました。
潮風に弱い鉄橋でなく、潮風に耐えられるコンクリー橋です。
透明なアクリル製の防風壁も、設置されています。
これで、風速30m/sでも列車の運行が可能になりました。
〈 7万年間に及ぶ年代記・福井県年縞博物館 〉本州の海岸線一周 その76
前回の問題 解答
「日本の真ん中 人が真ん中」をキャッチフレーズにしているのは、山梨県の中央市です。
今日の問題
余部鉄橋が完成してから50年後に、余部地区の人々の念願が叶って誕生した余部鉄橋西側の駅の名前は、何でしょう。
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