島崎藤村は、詩人として創作活動を
始めます。
その後、作家に転じます。
最初の作品・『破戒』は、困窮の中
での自費出版でした。
その渦中、三女、二女、長女、妻を、
次々と失います。
日本ペンクラブの初代会長に就任する
など、華々しい活躍を見せつつも、様々な
葛藤と背中合わせだったのでしょう。
詩人としての作品・『農夫』には、出征を
前にした農夫の苦悩が、父や母や心を
寄せる娘との交換を通して、せつせつと
描かれています。
父
げに汝はしも吾家の
高きほまれを捨つるまで
世のことわりもわかるまで
いくさを恐る心かや
農夫
流るる弾丸飛びて
耳のほとりをかすむとも
たなれの鋤を肩にして
ゆふべの歌をうたひつつ
いと冷やかに桑の樹の
葉陰を履みて帰るべし
誰か火に入る虫のごと
活ける命をほろぼして
あだし火炎に身を焚くの
おろかのわざをまなぶべき
島崎藤村 1943年8月22日 永眠
享年 七十七
前回の問題 解答
「東京オリンピックマーチ」を作曲し、
1989年8月18日に亡くなったのは、
古関裕而です。
今日の問題
「こころなきうたのしらべは」で
始まる作品は、何でしょう。
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