1925年3月7日、衆議院は圧倒的多数で、
治安維持法を可決しました。
治安維持法は、廃止されるまでの20年
間に、逮捕者数十万人、獄死者約1600人
などをもたらした、恐ろしい法律です。
それにもかかわらず、どうして可決さ
れたのでしょう。
当時、大正デモクラシーが盛んで、普
通選挙を求める運動も高揚していました。
衆議院の大半を占めていたのは、この
ような動きにもとづいた、民主派、進歩
派でした。
これら多数派は、「天皇制や私有財産
制に疑問を持つような少数意見を取り締
まるのは、何ら問題がない」と、考えた
ようです。
ところが、治安維持法は、ほんの一握
り意見を封じるためだけでなく、広範な
意見の存在を抹殺していきます。
政党は無力化され、政党政治も霧散さ
せられます。
皇国軍事体制のために、すべてが動員
され、個々の人格は否定されます。
当時政権を握っていた「護憲三派」の
民主派・進歩派が、普通選挙法の成立に
ばかり目を向けず、少数意見の存在も尊
重していれば、自分たちの存在も「維持」
できたでしょうに。
前回の問題 解答![]()
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トカードによって購入できます。
今日の問題
1925年3月22日09時30分、日本で何が
開始されたでしょう。
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