〈 舞鶴城(福岡城)と天守閣 〉築紫紀行その17

 筑前国の福崎に、1601年から1607年にかけて、足掛け七年の歳月を要して築かれた城郭は、数多くの櫓が建ち並ぶ姿が鶴が舞う光景に見えることから、舞鶴城と呼ばれました。
 舞鶴城を築いたのは、黒田長政です。
 黒田長政は、本来の地名である「筑前国福崎」を、黒田氏ゆかりの地名である「備前国福岡」と掛けて「筑前国福岡」とし、福岡城とします。

 舞鶴城(福岡城)の東側には那珂川、西側には草ヶ江(入り江)、北側には博多湾が、あります。
 その上、一号堀から六号堀までが築かれ、盤石の防御態勢が敷かれています。

 九州で最大級の舞鶴城(福岡城)には、天守台が残されてあるものの、天守閣はありません。
 「もともと天守台が築かれただけ」との見方もあれば、「天守閣は解体された」との見方もあります。
 諸説が錯綜する中、移築説が注目を集めています。

 江戸時代の草創期、全国の大名の配置を巡って、転封や改易が頻発していました。
 折しも江戸幕府は、大阪夏の陣で焼失した大阪城を再建します。
 黒田長政は、江戸幕府に恭順の意を示すために、大阪城再建用の資材として、舞鶴城(福岡城)の天守閣を提供したのかもしれません。

 なお、江戸城の天守閣は、1657年に焼失し、以後再建されません。
 大阪城の天守閣は、1665年に焼失し、江戸時代には再建されません。
 舞鶴城(福岡城)は、江戸時代の草創期に消失し、以後再建されません。
 江戸時代の大半、江戸城も、大阪城も、福岡城も、天守閣は無いままでした。

福岡城

福岡城 天守台

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 刑部岬(旭市)と北条海岸(館山市)は、日本の夕陽百選に選ばれています。
                     

 
 
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 福岡県内で『日本百名城』に選ばれているのは、何城と何城でしょう。

    

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