蘇我馬子は、厩戸皇子の伯父に当たり、義父にも当たります。
さらに、24歳も年上です。
厩戸皇子は、蘇我馬子と対等に渡り合えたでしょうか。
もし厩戸皇子が政治的な関心や野心を持ち合わせていたならば、その生命は危うかったに違いありません。
645年、大化の改新が起きます。
馬子の孫である蘇我「入鹿」が殺害され、蘇我氏は駆逐されます。
馬子は、逆賊に仕立て上げられます。
○ 蘇我氏の名誉を記した歴史書:『国記』『天皇記』は、焼却されます。
○ 厩戸皇子が、「聖徳太子」として聖人化されます。
○ 「蘇我氏による治政」は、「聖徳太子による治政」に、置き換えられます。
○ 改変された歴史を正史とする『日本書紀』が、編纂されます。
馬子の墓と推測される石舞台遺跡は、墳丘の盛り土が削り取られ、地中の奥深くに設置されていたはずの玄室を取り囲む巨石が、野晒しになっています。
〈 西方向を向かないように踏ん張り続ける「亀石」 〉
大和紀行その11
〈 「鬼の俎(まないた)」と「鬼の雪隠 (せっちん)」〉
大和紀行その10
前回の問題 解答![]()
「表現の自由」」は、日本国憲法の第21条で定められています。
今日の問題![]()
冠位十二階の制定によって、蘇我馬子は、「冠位を授かる側」に立ったのでしょうか、「冠位を授ける側」に立ったのでしょうか。


