カテゴリー別アーカイブ: 世界の旅

< 北アメリカ大陸最西端のB&B > スワード半島・アラスカ その六

 ノームの街の東縁に、二階建ての住宅があ
ります。
 二階部分が大家さんの住居で、一階部分が
B&Bになっています。
 B&Bとは、Bed & Breakfastの略で、朝食付
きの宿泊施設です。

 玄関を入ると、広いリビングです。
ノーム B&B リビング
 

 

 

 

 

 

 

 
 

 台所には、様々な食器や調理道具が、揃っ
ています。 

ノーム B&B 台所
 

 

 

 

 

 

 

 

 寝室は二室もあり、一人旅には持て余して
しまいます。

ノーム B&B 寝室 1
 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノーム B&B 寝室 2
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 乾燥機付きの洗濯機も、備えられています。
ノーム B&B 洗濯機  
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 デッキの先には、ベーリング海が果てしな
く続いています。

 北アメリカ大陸最西端に位置するB&Bは、
予想とはまったく異なる豪華な宿でした。

ノーム B&B デッキ
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 < 黄金の町・ノーム > 
    スワード半島・アラスカ その五

 < バギー車の町・ノーム > 
    スワード半島・アラスカ その四

 < マンモスとヒトの渡米 > 
    スワード半島・アラスカ その三

 < スワード半島 > 
    スワード半島・アラスカ その二

 < プリンス・オブ・ウェールズ岬 > 
    スワード半島・アラスカ その一

     前回の問題 解答
 植物の分類上、裸子植物門・イチョウ綱・
イチョウ目・イチョウ科・イチョウ属には、
イチョウ種一種だけが属しています。
 

  
      今日の問題 
 ノームNomeという地名は、ある英単語の一
字違いを由来としています。
 その英単語(四字)は、何でしょう。
       

 
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< 黄金の町・ノーム > スワード半島・アラスカ その五

 19世紀の末期、黄金を求めて、多くの人々
が、アラスカ各地で活動していました。
 1898年の夏、「幸運なスウェーデン人の三
人」が砂金を発見すると、それらの人々が一
点に殺到します。
 その地が、ノームでした。

 ノームの浜辺には、テントが次々に建てら
れます。
 テント村から、テント町へと、拡大してい
きます。
 1900年には、約3万人の人口を擁するまで
になります。
 当時のアラスカで、最大の都市でした。

ノーム 銅像 海岸
 

 

 

 

 

 

 

 

 砂金採取は、個人的な小規模作業から、機
械を用いた大規模作業へ移ります。
 その結果、金資源が枯渇して砂金採取は急
速に縮小し、町は寂れていきます。

 町の所々に、鉄製の花壇が置かれています。
 金を採取するために用いた、鉄製のバスケ
ットの名残です。
 いかに大規模な作業が行われていたか、往
時が偲ばれます。

 < バギー車の町・ノーム > 
    スワード半島・アラスカ その四

 < マンモスとヒトの渡米 > 
    スワード半島・アラスカ その三

 < スワード半島 > 
    スワード半島・アラスカ その二

 < プリンス・オブ・ウェールズ岬 > 
    スワード半島・アラスカ その一

ノーム 花壇 名前
 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 白山と能郷白山の両山を主峰とする山地は、
両白山地です。
 

  
      今日の問題 
 ノームで採取された金の量は、どれほどで
しょう。
  A 約1トン
  B 約10トン
  C 約100トン
  D 約1000トン
  E 約10000トン
      

 
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< バギー車の町・ノーム > スワード半島・アラスカ その四

 アンカレジから1時間30分ほどの飛行
で、スワード半島の中心・ノームへ到着
します。
 ノーム空港には、食堂や売店どころか、
自動販売機すら置いてありません。
 空港の建物を出ると、バギー車がずら
りと並んで、迎えてくれます。

バギー 空港
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一般家庭の前にも、バギー車が何台も
駐車しています。

バギー 家の前
 

 

 

 

 

 

 

 

 数的には自動車の方が多いものの、舗
装された道路が少なく、雪と泥の道路事
情に適しているのは、バギー車なのでし
ょう。         <つづく>

 「マンモスとヒトの渡米」 
   スワード半島・アラスカ その三


 「スワード半島」 
   スワード半島・アラスカ その二


 「プリンス・オブ・ウェールズ岬」 
   スワード半島・アラスカ その一


バギー 道路 走行
 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 水を、一ヶ所に集中せず、異なる場所
に分散して保管する理由は、台所や各部
屋の扉、物置や戸棚の戸が、開かなくな
る可能性があるからです。
 

  
      今日の問題 
 スワード半島の中心・ノームの人口は、
どれくらいでしょう。
  A 約360人
  B 約3600人
  C 約36000人
  D 約360000人
  E 約3600000人
      

 
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< マンモスとヒトの渡米 > スワード半島・アラスカ その三

 北アメリカ大陸の西端・スワード半島
と、ユーラシア大陸の東端・チュクチ半
島の間は、ベーリング海峡です。
 現在、ベーリング海峡を取り囲む海域
は、水深50m~200mの、大陸棚となって
います。

 過去に幾度となく訪れた氷河期に、海
水面は100m以上も低下し、ベーリング
海峡を取り囲む海域は、広大な大地にな
りました。
 北アメリカ大陸とユーラシア大陸を繋
ぐ、「ベーリング亜大陸」です。

 「ベーリング亜大陸」では、北アメリカ
大陸に生息する動植物と、ユーラシア大
陸に生息する動植物が、行き交っていま
した。
 350万年前ごろには、ウマやラクダが、
北アメリカ大陸からユーラシア大陸へ、
渡って行きました。
 14万年前ごろには、マンモスやバイソ
ンが、ユーラシア大陸から北アメリカ大
陸へ、渡って行きました。

 アフリカ大陸を出発し、ユーラシア大
陸を横断してきたヒトも、「ベーリング
亜大陸」を渡って、北アメリカ大陸へ向
かいました。      <つづく>
 

 「スワード半島」 
   スワード半島・アラスカ その二


 「プリンス・オブ・ウェールズ岬」 
   スワード半島・アラスカ その一


ノーム マンモス 牙 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
      前回の問題 解答
 木材の自給率は、2008年の24.4%から
2018年の36.6%へ、増加しています。
 

  
      今日の問題 
 ベーリング海峡は、スワード半島とチ
ュクチ半島の間で、何km離れているでし
ょう。
  A 約8km
  B 約80km
  C 約800km
  D 約8000km
  E 約80000km
     

 
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「スワード半島」 スワード半島・アラスカ その二

 北アメリカ大陸北西部から西方へ約
320kmも伸びる半島の名称「スワード」は、
人名に由来します。

 ロシア帝国は、高値で売れるラッコの
毛皮を求め、北アメリカ大陸北西部まで、
領土を広げました。
 しかし、乱獲がたたってラッコの生息
頭数は、激減します。
 ロシア帝国内外を取り巻く情勢も厳し
くなり、植民地経営が行き詰ります。

 そこで、ロシア帝国は、アメリカ合衆
国に「ロシア領アメリカ」を売却する話を
もちかけます。
 アメリカ合衆国側の交渉を担当した国
務長官・スワードは、「1平方キロメートル
あたり4.7ドル(540円)」で妥結します。

 この売却話に対して、アメリカ合衆国
の当時の人々は、「ホッキョクグマの遊園
地」「スワードの冷蔵庫」・・・を購入すると
は、「スワードの暴挙」・・・と、批判しまし
た。

 それでも、アメリカ合衆国政府は、買
収した「ロシア領アメリカ」を、「アラス
カ(アレウト語で、海が包み込む所の土
地)」と改称し、開発に着手します。    
            <つづく>

 「プリンス・オブ・ウェールズ岬」 
   スワード半島・アラスカ その一


ベーリング海峡 
   スワード半島 地図 2019 11 27
 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 用材(木材)の国内消費量は、2008年と
2018年を比較すれば、7716万トンから70
35万トンへ、9%減少しています。

  

      今日の問題 
 1867年、日本では江戸幕府から天皇へ、
権力が移行しました。
 同年、「ロシア領アメリカ」では、ロシ
ア帝国とアメリカ合衆国との間で、何が
行われたでしょう。
 

 
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「プリンス・オブ・ウェールズ岬」 スワード半島・アラスカ その一

 アラスカの西側(ベーリング海側)には、
四つの大きな半島があります。
 そのうち北から二番目が、スワード半
島(下図の矢印)です。

 アラスカ本土から西方へ、矢印に似た
形をしています。
 その先端は、プリンス・オブ・ウェール
ズ岬で、北アメリカ大陸(南アメリカ大
陸を含めても)の最西端に当たります。

 今回、スワード半島とともに、プリン
ス・オブ・ウェールズ岬も訪ねたいと思っ
たのですが、岬は断念せざるを得ません
でした。
 the national preserveへ入る手続きが、
間に合わなったからです。

 プリンス・オブ・ウェールズ岬の麓にあ
るのが、ウェールズという人口約160人
の集落で、次のような生活をしているそ
うです。

 Most residents lead subsistence
lifestyles of hunting, gathering,
trapping, and reindeer herding.

スワード半島 地図
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 ニュージーランドにおける羊の飼育頭
数は、1982年から2017年にかけて、4280
万頭も減少しました。

  

      今日の問題 
 プリンス・オブ・ウェールズ岬の経度は、
どれでしょう。
  A 東経168度
  B 東経186度
  C 西経168度
  D 西経186度   
 

 
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『テ・ワイ・ポウナム』  11月の学園だより

 オセアニアで最も南端にあるラキウラ
(スチュワート島)から、テ・ワイ・ポウナ
ム(ニュージーランド南島)へ渡る船は、
ものすごい揺れに見舞われます。
 手摺りを握り締めながら前進しようと
しても、船が上下左右に激しく揺れるた
め、10数cm先の手摺りまで、手が届きま
せん。
 ラキウラとテ・ワイ・ポウナムを隔てて
いるフォーボー海峡は、船乗り達が恐れ
る「南緯40度台」の、真只中でした。

 テ・ワイ・ポウナムを北上する間、窓か
ら見えるのは、なだらかに続く牧場の連
続です。
 広大な牧場に仕切られた一区画には、
羊の群れが一心に牧草を食んでいます。

 18世紀にニュージーランドを訪れた探
検家・クックらは、平坦な土地は見あた
らず、深い森が続くばかりと、記してい
ます。
 その後進出してきたヨーロッパ系の人
々は、木々を切り倒し、森を焼き払い、
山を削り、谷を埋めていきました。
 テ・ワイ・ポウナムに残る大自然は、極
めて限られています。

 ヨーロッパ系の人々が進出する前に、
太平洋の島々から渡ってきたマオリの人
々は、辿り着いた大きな島の海岸各地に、
ヒスイの原石を発見し、島をテ・ワイ・ポ
ウナムと、名付けます。
 マオリ語で、テは「その」、ワイは「水」、
ポウナムは「ヒスイ」に、相当します。

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      前回の問題 解答
 「アレウト」は、「島の人」という意味で
す。

  

      今日の問題 
 ニュージーランドにおける羊の飼育頭
数は、1982年から2017年にかけて、どれ
はど変化したでしょう。
  A 4280万頭増加
  B  428万頭増加
  C  42万頭増加
  D   4万頭増加
  E   4万頭減少
  F  42万頭減少
  G  428万頭減少
  H 4280万頭減少

 
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